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​プロフィール

およろこびいただくことを全力で

​【小学・中学生時代】

 1986年11月12日、鹿児島県姶良郡(現・霧島市)溝辺町で生まれました。鹿児島ののどかな田舎で育ちました。

 

 実家は山奥で、小学校から自宅まで遠く、小学校近くの祖父の家に帰り母親の帰りを、おやつを食べ、宿題を済ませ、TVを見て待っていました。そんな生活を2年ほどしていると、小学1年生当時標準体型だったのが、小学2年生終わりごろには肥満児になっていました。

 

 小学3年生から、父親が地元の剣道少年団の指導者をしていた影響で剣道を始めました。そこで剣道の先生から「動きを良くするために体を絞れ」と言われ、小学3年生でやせるために考えたことは、毎朝校庭を1kmずつ走ることでした。2年くらい続けていると、標準体型に戻り、持久走大会でも上位に入れました。それまで太っていたことや、持久走が遅かったことにコンプレックスを感じていましたが、やせたことで自分に自信が持てました。今の運動に携わる仕事をしている原点は、この経験が大きいと感じています。

 ちょうど、このやせていった小学5・6年生の頃、「長野オリンピック」、「松坂世代の甲子園」を目の当たりにし、「スポーツってかっこ良い!」と感動しました。中学時代は甲子園の新聞記事を切り抜きノートに貼るほど夢中になっていました。

 

 と同時に、「お笑い番組」が好きでした。漫才、コントを見て一人で笑っていました。ただ面白いというだけより、「どうやってこんな面白い漫才、コントを作っているのだろう。かっこ良いな~!」と感じていました。自分がお笑い芸人になろうとは、到底考えられませんでしたが、周りの人に「よろこんでもらえる仕事」をしたいと感じるようになりました。

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 高校は、地元の普通高校に進学しました。小・中学時代続けていた剣道を高校でも続けようか迷いましたが、部の雰囲気の良さで入部しました。小・中学時代は父が指導者でしたので父に対するいら立ちや、期待に応えられない自分に対するいら立ちがありましたが、高校時代は自分で考え行動することの必要性を感じ、それが楽しく充実していました。レギュラーにはなれませんでしたが、同級生と切磋琢磨し、ともに行動することで、かけがえのないつながりができました。

 

 そういった経験から漠然と運動に関わる仕事がしたいというイメージがあり、「生涯スポーツコース」のある国立大学を受験しましたが、不合格でした。そこで予備校に進むか、専門学校で学ぶか迷い、「予備校に進むより、技術を学ぼう」と思い福岡の「福岡リゾート&スポーツ専門学校」へ入学しました。

 

 専門学校時代は、大学の男子ラクロス部でのトレーナー実習に励みました。男子ラクロス部の練習・試合でのパーソナルストレッチ、ウォーミングアップ、クールダウン、負傷者の対応など携わらせていただきました。試合で勝った時や、選手が活躍した時は喜びを感じ、逆に成果が出なかった時には、責任も感じました。約1年半携わらせていただきましたが、貴重な経験を積むことができました。

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 卒業後は病院と併設した「メディカルフィットネスセンター三幸」というフィットネスクラブに就職しました。そこでは、生活習慣病の方への運動指導、プールでの泳法指導、介護予防教室、登山、バスハイクなどのイベント企画・引率、機械の修理、業者とのやり取り、事務作業などさまざまな事を行いました。

 

 はじめは、右も左もわからず、ただただがむしゃらに動いていました。効率が悪く、一つの事に集中しすぎたりしすぎていましたが、運動指導やイベントでお客さまにお喜びいただいた時は、こちらも喜びを感じられました。

 

 しかし6年働いていくと、だんだんとお客さまへの運動指導より、事務作業に追われる事が多くなり、「このままで良いのか?」という考えが強くなりました。

 

 そんな中、過去パーソナルトレーナーを行っていた上司が営業後に開催していた勉強会に参加し、運動指導の楽しさを認識しました。そして、働きながら外部でパーソナルトレーニングの知識、技術を学び資格を取得しました。

 学んでいく中で、フィットネスクラブの社員を辞め、フリーランスのパーソナルトレーナーとして活動したいという思いが強くなり、2013年1月にフリーランスとなりました。


 フリーランスとなり、フィットネスクラブで業務委託のパーソナルトレーナーとしての活動を開始しました。初めはパーソナルトレーニングでの収入はほぼ無く、前職のクラブでのアルバイト、子どものランニング教室、股関節疾患者の水中ウォーキング指導をしながら活動していました。

 社員で働いていたころは、固定給でしたので危機感というのは少なかったのですが、フリーランスになると自分で何とかしなければならないので、勉強会に毎週通ったり、積極的にフィットネスクラブのお客様にお声がけしたりと必死でした。

 3ヶ月くらいして少しずつお客様も増え、半年でアルバイトを辞め、他の活動も離れ、約1年半後にはパーソナルトレーナーの活動1本で生活できるようになりました。

 

 フリーランスでの活動は本当に自分自身を試されるものです。こちらばかりが行いたい運動をお客様に押しつけても、お客様におよろこびいただけません。いかに、お客様のお気持ち、ご要望をご理解し、お客様にあった最善の方法を提供することが必要です。今でも常に試行錯誤し、学ぶ毎日です。辛いことも多いですが、それを上回る喜びがあるので、今も続けられています

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​【今後の思い】

 今(2018年)はほぼフィットネスクラブでのパーソナルトレーニングが中心なのですが、「一生フィットネスクラブで活動し続けるのか?」という漠然とした不安が出てきました。

 そこで、フィットネスクラブだけでなくもっと幅広く、多くの方にお喜びいただく事が必要、と感じるようになっていきました。

 今考えている事は、より幅広いトレーナー活動、より多くの方への健康情報のお伝え(講話)、トレーナーの育成、健康イベント企画、トレーナーとお客さま(個人、団体)をつなぐ役割、をしたいと考えています。

 多くの方に「およろこびいただきたい」「楽しんでいただきたい」というのがぶれない思いです。

 そのために、全力で突き進んでいきます。

 「およろこびいただくことを全力で」

 これが、私の大切にしている思いです。宜しくお願い致します。

【経歴】

2005年

(3月)鹿児島県立加治木高校卒業

 

2007年

(3月)福岡リゾート&スポーツ専門学校卒業

2007年

4月)医療法人和仁会 メディカルフィットネスセンター三幸入社

     生活習慣病の方への運動指導、水中運動指導、

     公民館での健康教室、健康講話、登山イベント、ウォーキングイベント、バスハイク運営・開催

2011年

(1月)フルマラソン「いぶすき菜の花マラソン」初挑戦 約6時間で完走

    (以降フルマラソン8回完走)

2012年

(12月)医療法人和仁会 メディカルフィットネスセンター三幸退社

         

2013年

(1月)フリーランスとなりパーソナルトレーナー活動開始

     セントラルウェルネスクラブ野間大池店・天神ソラリア店

     でのパーソナルトレーナー活動、水中ウォーキング教室、

     幼児・児童向けランニング教室実施

2014年

(1月)「いぶすき菜の花マラソン」 3時間52分で完走(自己ベスト) 

2017年 パーソナルトレーニング 年間1,040セッション実施

2018年

7月)「ランニングスクール」コーチ就任

(8月)「早朝ジョギング会」開始

(9月)「ランナーのためのコンディショニング教室」開催

(10月)企業の社員の方向けに「腰痛予防教室」開催  

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【取得資格】

〇日本ホリスティックコンディショニング協会認定 フィジカルコンディショナー

〇健康・体力づくり事業財団認定 健康運動指導士

〇剣道三段

資格
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剣道バトル
【性格】

〇「やると決めたことはやる」

 小学生の頃、毎日走ったり、素振りをしたりといったことがあるように、やると決めたことは、コツコツ続けることができます。

 

〇「流行りに乗りたくない」

 流行っていることや、周りの多くが良いと言っている事に、一緒に同調するのが苦手です。ざっくりいうとメジャーよりマイナーが好きです。中学生時代、周囲が巨人ファンが多かったのですが、当時Bクラスに苦しんでいた広島東洋カープを応援していました。今も好きです。逆境に負けない姿が好きです。

〇「表情に出すのは苦手だが、内なる熱いものがある」

 あまり表情豊かに喜怒哀楽出すのは苦手ですが、心の中に熱い思いがあります。ここぞという時に集中し、お喜びいただく事を全力で行います。

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松元啓祐が気になる方は、こちらからお問い合わせください。
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